皆さま、日々ワクワクして、
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ワクワク目標達成研究室の森です。
2019年8月1日に発売された『上級国民/下級国民』。
『上級国民/下級国民』での指摘をみていきながら、硬直型マインドセット/しなやかマインドセットの考え方をベースにしつつ、今後の社会の中で、私たちのあり方などを考えていきます。
今回は、「上級国民/下級国民」を分ける最後の要素としての「知識層かそうでないか」についてふれます。
「知能=教育」により人々は分断される
「上級国民/下級国民」を分ける要素が、後期近代に適応できるかどうか、という側面があるのは間違いありません。
加えて、後期近代を生み出した要因は科学技術の飛躍的な進化、言い換えれば「知識社会化」にあり、結果として一層「グローバル化」が加速したことから、
「知識社会・リベラル・グローバル」は後期近代では一体であり、これにより人々は、とりわけ先進国の人々は分断されるのだと橘氏は指摘します。
では、どのようにして後期近代では、先進国の人々は分断されるのか?
②クリエイティブクラスの台頭
「中間層の崩壊」は、移民、テクノロジーの進歩によってなされます。以前では自動化であり、最近ではAIですね。
クリエイティブクラスは、知的でクリエイティブな仕事をしている人ごくわずかな人たち、ということで、要はものすごいお金持ちクラス、ということになります。この、ごくわずかな1%くらいの人たちが、アメリカの個人資産の42%を所有しています。
結論からいえば、後期近代では「知能」によって人々は分断される、ということになります。
以前も紹介したように、日本でも「大学卒かそうでないか」で幸福度が大きく左右しているのが現状です。
「人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。
『学問のすすめ』より
ただ学問を勤めて物事を良く知る者は貴人となり富人となり、
無学なる者は貧人となり下人となるなり」
福沢諭吉先生の『学問のすすめ』の有名な一説です。
しなやかマインドセットの人であれば、
「そうだ、学び続けることが大切だ!」
ととらえるでしょう。そして、その捉え方は、後期近代を生きるためには必須の考え方です。
しかし一方では、
「貧人となり下人となったのは、学ばなかった者の自己責任」
ということもできます。
橘氏は、
「教育の本質は、『上級/下級』に社会を分断する『格差拡大装置』であることを、福沢諭吉は正しく理解していたのです」
『上級国民/下級国民』より
と指摘しています。
もちろん、橘氏は「じゃあ、教育なんていらない」と言っているわけではなく、教育以外の要素で身分が分けられない後期近代の帰結として、当然教育で格差は拡大する、という事実を指摘しているだけだといえます(遺伝の要素も考慮すると、なおそうなります)。
なお、橘氏はシンギュラリティによって、AIの知能が人間の知能をはるかに上回るようになれば、どんな人間もテクノロジーを理解できなくなり、
「『技術』と『魔術』の区別はつかなくなり、知能は意味を失って知識社会は終わるようになります」
『上級国民/下級国民』より
と指摘しています
(シンギュラリティは2040年ごろには起こると言われているので、知識社会はそのあと2050年ごろには終わる!?)。

古代ギリシャ哲学では、ポイエーシス(制作・詩作・魔術)がテクネー(技術)のもともとの意味であるとされています。ある意味、人間の知性は古代ギリシャに回帰するのかもしれませんね。




次回予告
次回は、後期近代を前提として、教育について、そして後期近代をどう生きるかについて考えます。