『上級国民/下級国民』とマインドセット -8- ~未来のために私たち自身がまずは非認知能力を高めよう~

皆さま、日々ワクワクして、
過ごしていますか?

ワクワク目標達成研究室の森です。

2019年8月1日に発売された『上級国民/下級国民』。

 『上級国民/下級国民』での指摘をみていきながら、硬直型マインドセット/しなやかマインドセットの考え方をベースにしつつ、今後の社会の中で、私たちのあり方などを考えていきます。

 今回は結論として、やはりマインドセット含め非認知能力を私たち一人一人が高めていくのが未来を考えるうえで大切だ、というお話です。

学業(そして仕事)のためのマインドセット

ポール・タフ『私たちは子どもに何ができるのか』では、

 学校で、子どもたちが学業に取り組むための非認知能力の一つ「学業のためのマインドセット」として、以下の4つがあげられています。

学業のためのマインドセット
①私はこの学校に所属している
②私の能力は努力によって伸びる
③私はこれを成功させることができる
④この勉強は私にとって価値がある

 貧困などの逆境下に育った子供たちは、往々にして、上記4つをすべて信じることができません
 
 逆境下に育った子供たちにとって、学校や先生は、たいてい自分を脅かす「敵」になりやすい。そのほかの項目は言わずもがなでしょう。

 ここでも、「学校」を「会社」に、「学業」を「仕事」に置き換えると、いろいろと気づきがあるのではないでしょうか?

日本のサラリーマンの場合、まず会社に「所属している」意識は強いけれど、正直「好き」ではないよね。「社蓄」という言葉があるように、どちからといえば、会社を「敵」と見なしているのが、正直なところだろう。
確かに……
あと、仕事が「私にとって価値がある」かどうかについて、「給料や地位」以外の答えができる人が、どれだけいるか、だな。というより、子どもたちの学業の価値も、「いい会社に入るため」だと、結局「給料や地位」に収斂してしまう、のだろうか?
ここは、原田メソッドでの「目的・目標の4観点」が必要なところですね。

アクティブラーニングは非認知能力の低い子どもにこそ有効

 『私たちは子どもに何ができるのか』で教育について面白いのは、

  1. アクティブラーニングは非認知能力の低い子どもにこそ有効
  2. 日本はアメリカよりも教育ですでにアクティブラーニングを導入している

 アクティブラーニングは「能動的学習」と呼ばれるだけに、最初からやる気のない子どもたちにとっては、ハードルが高すぎるのではないか。結果、アクティブラーニングを導入することで、教育格差が高まるのではないか。

 アクティブラーニングについては、そんな批判が多いです(実際に、『私たちは子どもに何ができるのか』でも、その批判について取り上げています)

 しかし、『私たちは子どもに何ができるのか』では、事例をあげながら、アクティブラーニングは非認知能力の低い子どもにこそ有効だとしています。
 そもそも、1960年代にはじまったアクティブラーニングの原点には「やる気のない子どもたちのやる気を高める」があるので、その原点が正しかった、というのが正確なのでしょう。

 また、『私たちは子どもに何ができるのか』で紹介されていた日本の算数の教育では

①いきなり子どもたちに、見たこともない問題を提示し、自分で解かせる
 →当然、たいてい間違っている
②次に、グループで話し合う
 →いろいろなアプローチが飛び出す
③最後に、先生が議論を誘導して、なるべく子どもたちが解き方に「気づく」ようにする

かなりアクティブラーニングですね。

 一方で、アメリカの算数の教育では、

①問題の解き方を黒板(プロジェクター)に表示。子どもたちに書かせる
②例題をいくつか出す。先生がお手本として最初に解く。子どもたちにその全てを書かせる
③例題によく似た練習問題を出す

なのだそうですが、どうだったかなぁ? 
私が受けた教育はアメリカ式だったような気がするけれど!?

アメリカ式の教育って、進学校や塾のやり方に近いのではないか? そう考えると、非認知能力が低いと、そりゃ落ちこぼれる率が上がりそうだ。
実のところ、アクティブラーニングの本当の課題は、「現場の先生方に指導法、マインドセット含め多大な負担が出てくる」ことにあるのでしょう。アクティブラーニングは先生の子どもに対するマインドセットが硬直していると、本当の意味では実践は難しいと思います。
マインドセットが硬直している先生がアクティブラーニングをしても、実際は、結局先生が言わせたい回答を「いい子」に言わせるだけになりやすい。結果、アクティブラーニングはより「忖度」する子どもを量産するだけで、「忖度」できない子どもは一層落ちこぼれる、という批判もあるしな。

結論 ~私たちにできること~

 これまで見てきたように、これからの子どもにますます必要なのは「子どもの非認知能力を高める環境」であることは間違いありません。

 そのためにまず私たちにできることは、

「私たち自身が、まずは非認知能力を高め、
 子どもたちにとって非認知能力を高める環境になろう」

 ということではないでしょうか?

 非認知能力のレベルについての図「学習のための積み木」をもう一度見てみましょう。

 あなたは、この積み木を、どこまで高く、安定して、積み上げているでしょうか?

 まずは、あなた自身の積み木を、土台を安定させ、少しでも高く積み上げていく。そのためにも、座学だけではなく、アクティブラーニングで能動的に非認知能力を高めていくことも大切でしょう。

 それこそが、これからの子どもたちの非認知能力を高め、後期近代を切り拓くことができるようになるための第一歩なのではないでしょうか?

 現実問題、社会全体ではこれから「上級国民/下級国民」の差は開く一方でしょう。しかし、まずはあなた自身のマインドセット含む非認知能力を安定させる。そしてその輪が拡大して、子どもたちへの適切なアプローチができるようになる。

 そうすると、子どもたちの意識も変わり、将来的には下級国民の底上げ、あるいは「上級/下級」の区分があいまいになる、またはどうでもよくなる未来になることを、個人的には願ってやみません。

「上級/下級」をシンプルに経済力でとらえれば、「上級/下級」の差は「ものすごく持ってる1%と、その他99%」に開きそうなものだが?
ただ、幸福度で考えれば、別にものすごく持っていなくても、年収1,000万ラインで経済力と幸福度の相関はなくなっていく。正直、「モテ/非モテ」と経済力は弱い相関でしかないと思うし、「上級/下級」の区分なんてマインドセット次第になっていくのでは? というのが、私の楽観的な見方です。