皆さま、日々ワクワクして、
過ごしていますか?
ワクワク目標達成研究室の森です。
2019年8月1日に発売された『上級国民/下級国民』。
『上級国民/下級国民』での指摘をみていきながら、硬直型マインドセット/しなやかマインドセットの考え方をベースにしつつ、今後の社会の中で、私たちのあり方などを考えていきます。
今回は、「上級国民/下級国民」への分断が進む後期近代を前提として、教育について、そして後期近代をどう生きるかについて考えます。
後期近代はこれからさらに進んでいく

これまで紹介した後期近代。これからの時代、その流れは一層進むのか? それとも、歯止めがかかっていくのか?
個人的には、後期近代はこれからさらに進んでいくし、それを遅らせることはできても、止めることはできないと考えています。
日本においては、現行の終身雇用・年功序列が制度としても慣習としても崩壊した時点で、本格的な後期近代に突入するというのが私の見立てです。
(現在の「上級国民/下級国民」が流動化し、より他の先進国と近似した「上級国民/下級国民」が誕生するイメージでしょうか。おそらくは、現在の上級国民の大半が下級国民化する、のだと思います)
それがいつになるかは、当然私にはわかりませんが…




これからの子どもにますます必要なのは「子どもの非認知能力を高める環境」

では、どうしたらよいのか?
「知能=教育」により人々が分断されるのが後期近代である前提に立つならば、「学校や勉強が嫌い、学校についていけない」子どもたち、いわゆる「落ちこぼれ」をどれだけ減らせるか。これが、分断の溝を狭める一つのポイントとなる。個人的にはそう思っています。
落ちこぼれる子どもについて考えるときに、よく挙がるのは「親の経済力」ですね。経済格差と教育格差には相関関係があるのはさまざまなデータで間違いはない。
ただ、単純に、貧困層の子どもたちの塾代を国や自治体が負担すればいい、というだけの話ではありません。
『上級国民/下級国民』での貧困層の教育リアルを見ても、貧困層の親も子供たちが学校に行く必要がないと考えている、または行かせない、というわけではない。でも、結果子どもたちは学校をドロップアウトする。
ここでカギとなるのが「非認知能力」。
ポール・タフ『私たちは子どもに何ができるのか』では、非認知能力について、
「粘り強さ、誠実さ、自制心、楽観主義など」
『私たちは子どもに何ができるのか』 より
といった表現をしています。要は「性格の強み」です。
『私たちは子どもに何ができるのか』では、非認知能力のレベルについての図が「学習のための積み木」として紹介されています。

この図は、なかなかに示唆的です。
マインドセットとか、レジリエンスも重要ですが、その土台となる積み木(愛着(アタッチメント)、ストレス管理、自制心)がしっかりしていないとダメ。
この図の「学校」を「会社」に、「学業」を「仕事」に置き換えると、そのまま社会人にも当てはまりますね。


非認知能力はスキルではなく子どもを取り巻く環境の産物

『私たちは子どもに何ができるのか』では、
「『非認知能力は教えることのできるスキルである』と考えるよりも、『非認知能力は子どもを取り巻く環境の産物である(強調原文)』と考えたほうがより正確であり、有益でもある」
『私たちは子どもに何ができるのか』 より
としています。
ここでの「環境」とは、端的に言えば家族、親が第一に重要になります。親がもともの非認知能力が弱い、または貧困ゆえの長時間労働などからくるストレスで非認知能力が弱まっていると、子どもに愛情を持って接する余裕もなく、子どもに八つ当たりしやすい。ひどい場合は、子どもにとってトラウマとなる接し方(重度のネグレクトなど)になる。
結果、子どもの非認知能力は育たず、結果、成長してもドロップアウトする確率が高まる。経済格差と教育格差に相関関係が生じやすくなる。
現に、貧困層の親の愛着(アタッチメント)に焦点を当てて、そこに介入するプログラムでは、子どもの能力に対照群と比べても有意な良い影響が出ています。




子どもたちの非認知能力を測定するシンプルな指標

当然、子どもたちの非認知能力を左右する「環境」の第二は「学校」です。
非認知能力というと、測定不可能というイメージがありますが、『私たちは子どもに何ができるのか』では、おもしろいことに、学校での、子どもたちの非認知能力を測定する指標として、
②停学回数
③留年の有無
④GPA(日本での通知表のようなもの)
の4つをあげています(日本では③はあまり機能しないので考慮不可)。
『上級国民/下級国民』でも、底辺高校には「中学からの成績がオール1で、不登校300日」といった子どもたちが入学するとのこと。その点でも、言われてみれば、確かにそうなのかもしれません。
(とりわけ日本では、不登校問題はさまざまな要因がからむので、子どもたちの非認知能力だけが要因とはいえないでしょうか)






次回予告
次回は、非認知能力と学校教育についてさらに触れたうえで、結論として、後期近代の中で私たち一人ひとりのレベルでできることについて考えてみたいと思います。