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ワクワク目標達成研究室の森です。
2019年8月1日に発売された『上級国民/下級国民』。
『上級国民/下級国民』での指摘をみていきながら、硬直型マインドセット/しなやかマインドセットの考え方をベースにしつつ、今後の社会の中で、私たちのあり方などを考えていきます。
今回は、「上級国民/下級国民」を分ける最後の要素としての「知識層かそうでないか」を考えるうえで前提となる「後期近代」についてふれます。
ポジティブ心理学も、原田メソッドも、すべて後期近代の産物
人類史の中で、1960年代以降から現在に至るまでの時代を「後期近代」と呼びます。この「後期近代」の価値観について、橘氏は端的に
「私の人生は私が自由に選択する」
と表現しています。すなわち「自己実現」です。
「何を当たり前な」と思うのは、私たちが後期近代に生きているから。
日本でも、戦前までは、
- 長男は家業を継ぐ
- 次男以降は軍人になるか出稼ぎに行く
- 女性は親の決めた相手先に嫁ぐ
以外の選択肢はなきに等しかったわけです。それ以前の時代は言うまでもありません。
ゆたかな社会をベースに誕生した、そんな「後期近代」は、それ以前の社会に比べれば圧倒的に素晴らしい社会であることは間違いありません。
しかし、世の中はそんなに甘くないので、後期近代特有のしんどい側面が出てくることになります。
②「自分らしさ」を自分で見つけないといけない
「自己実現=自己責任」は、わかりやすいですよね。
私の人生は私が自由に選択するのだから、その結果については、すべて私の責任、ということになります。
日本でよくいわれる「自己責任論」は、どちらかというと、ムラ社会が嫌で飛び出したアウトサイダーは自己責任だから何があっても知らないよ、という側面が強いです(ムラ社会の掟を守る人に対して「自己責任論」がふりかざされることはほとんどない)。
ただ、ムラ社会が崩壊するにつれて、日本的な自己責任論とここでの自己責任論が近似していくことは時間の問題でしょう。
別の言い方をすれば、個々人でリスクを引き受ける必要があるのが後期近代です。ハイリスク・ハイリターンをとるのか、ローリスク・ローリターンをとるのか。それも個々人で決める必要があります。そして、リスクの結果は、基本自分で引き受ける必要があります。
また、「自分らしさ」は、後期近代以前は考える必要のないものでした。
「私は~です」というときに、後期近代以前は~には「農民」「貴族」「キリスト教徒」「仏教徒」などが入り、それ以外を考える余地はなかったといえます。
しかし、後期近代になり「身分」「宗教」といった、これまで自分を規定していたものが「前時代的」ということになり、自分らしさを自分の中から見出さなければならなくなりました
(もちろん、ほとんどの人は後期近代を切り拓くのはしんどいので、代わりに「私は日本人です」「私は広島カープのファンです」「私は〇〇の社員です」など、自分らしさを外部に求める人がほとんどです)。
たとえば、ストレングス・ファインダーというものがあります。これは、自分らしさのうち「強み」を見出すためのものです。
しかし、 ストレングス・ファインダー にて、
- 「私の強みは、貴族であることです」
- 「私の強みは、〇〇出身であることです」
などといった分析は一切なされません。代わりに、
- 「私の強みは、『調和性』があることです」
- 「私の強みは、『慎重さ』があることです」
といった分析をします。これは、私の強みを私の中から見つけている、ということです。
橘氏は、ポジティブ心理学は後期近代を生きるための心のありかたを描いたものとしてとらえます。
「資本主義を肯定し、自由な社会で『自分らしく』生きることを称揚するこの新しい思想(ポジティブ心理学)では、人生は自らの責任において切り開くものであり、そこから得られる達成感こそが志向の価値とされたのです」
なお、「しなやかマインドセット」が万人に必要とされるのは、まさに後期近代特有といえます。
加えていえば、原田メソッドの哲学にあるのは「自分の人生を自分で切り拓く」人材の育成といえます。
結局、ポジティブ心理学も、原田メソッドも、しなやかマインドセットも、その他自己分析等含むもろもろの自己啓発の考え方は、すべて後期近代の産物であることは間違いありません。





次回予告
次回は、後期近代では、「知能=教育」により人々は分断される、というお話をします。